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高松高等裁判所 昭和29年(ネ)219号 判決

控訴人 徳島県経済農業協同組合連合会

被控訴人 久保進 外一名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、原判決を取消す、被控訴人等は控訴人所有の徳島市万代町二丁目四番地の二宅地二百九十坪八合七勺の内六十六坪七合、同所五番地の五宅地千八十八坪八合八勺の内二十九坪六合六勺、合計九十六坪三合六勺(別紙図面の通り)を通行し、その他使用してはならない。訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とするとの判決を求め、被控訴代理人は、本件控訴を棄却するとの判決を求めた。

事実関係につき当事者双方の陳述したところは、控訴代理人において、被控訴人等が所有する土地は、昭和二十三年一月十六日分割せられるまでは、訴外久保正三の所有に属し、当時右土地は国道に面していたのであるから、被控訴人等所有の土地が袋地となつたのは右分割のときである。控訴人主張の本件土地の一部はもと道路であつたが、大正九年四月十五日内務省により廃道敷とせられ同年六月八日訴外蜂須賀正韶の所有となつたものである。また訴外久保正三所有の土地が分割せられたのは昭和二十三年一月十六日であること前記の通りであるが、被控訴人久保進は同日被控訴人久保治は昭和二十六年十二月十日それぞれ控訴人が主張する土地の所有権を取得している。従つて被控訴人進は民法第二百十三条第一項により他の分割者の所有地のみを通行することを得べく、被控訴人治は、隣接地たる被控訴人進の通路を使用し得るのである。被控訴人進としては分割当時自己の隣接地に袋地となつた宅地の存在することを知つていたのであるから、右通路の共同使用を承認しなければならないこと当然であると陳述し、被控訴代理人において本件土地(北側に隣接する約二百坪の土地を含む)は現在なお公道である。控訴人が右土地の道路敷地を所有する一事を以て通行を禁止する行為は、明らかに刑法第百二十四条第一項所定の往来妨害罪に該当し、不法行為である。大審院判例も夙に刑法第百二十四条第一項にいわゆる陸路とは公衆の往来に供する陸上の通路を指称し、その道路法の適用を受けるものか否か、その敷地所有権の何人に属するかを問わず、之を壅塞したものについては往来妨害罪が成立するとの見解を示している。また本件については民法第二百十三条第一項の適用がない。即ち自己の土地に、公衆延いては自己の自由に通行し得べき道路が接し、この道路を利用することが国家経済上最良と認められる場合には前記法条の適用なく、また公衆の往来に供せられている道路の敷地所有者たる控訴人は、右法条を援用し得べきものではないと陳述した外、原判決摘示事実と同一であるから、茲にこれを引用する。証拠として、控訴代理人は甲第一乃至三号証、同第四、五号証の各一、二、同第六号証の一乃至四、同第七号証の一乃至五、同第八号証を提出し、原審証人鈴木松衛門、同吉田孝夫、当審証人吉田孝夫、同大浦孝夫の各証言及び原審における検証の結果を援用し、乙第四、五号証の成立は認めるが、爾余の乙号各証は否認すると述べ、被控訴代理人は乙第一、二号証、同第三号証の一乃至四、同第四、五号証を提出し、原審証人加本道治、同福田健三、同粟田隆雄、同久保正三、同栴檀勝一、当審証人粟田高一、同栴檀勝一の各証言を援用し、甲第六号証の一、二は不知、爾余の甲号各証は成立を認めると述べた。

理由

よつて先ず本件土地が控訴人の所有に属するか否かについて按ずるに、成立に争のない甲第一乃至第三号証、同第四、五号証の各一、二、同第六号証の三、四、同第八号証、当審証人吉田孝夫の証言により成立を認め得べき同第六号証の一、二に右証人の証言及び原審証人鈴木松衛門、同吉田孝夫、当審証人大浦孝夫の各証言を綜合すれば、徳島市富田浦町字富田十三番地の五、十六歩は廃溝として、同所十三番地の六、四畝二十五歩は廃道敷として、何れも大正九年四月十五日内務省が所有権保存登記手続をなした土地であるところ、同年六月八日交換により訴外蜂須賀正韶の所有に帰し、同月二十三日その旨の登記を経由し、昭和十二年七月二十三日訴外蜂須賀正氏が家督相続によりこれを承継すると共に同日その地目を原野と変更し、同月二十七日これを訴外財団法人天理教名東大教会維持財団に売渡し、次いで右訴外法人は昭和十五年十二月四日保証責任徳島県信用購買販売利用組合聯合会に徳島市万代町二丁目五番地の五宅地千八十八坪八合三勺と共にこれを売渡し、その後右聯合会は徳島県農業会に改組せられて、前記土地の所有権を承継したこと、右土地の内十三番地の五は徳島市万代町二丁目五番地の二に、十三番地の六は同所五番地の三に町名地番を変更され地目もそれぞれ宅地に変更されたが、前記農業会は昭和二十六年三月二十六日五番地の二、三を農業会所有の同所四番地八百二十坪に合筆し、九百八十一坪となし、同日更にこれを同所四番地の一、六百九十坪一合三勺と、四番地の二、二百九十坪八合七勺とに分筆し、その後右農業会は控訴人組合に改組せられ右土地の所有権を承継したことが認められるから、本件土地である同所四番地の二及び五番地の五は何れも控訴人の所有に属するものといわなければならない。

而して本件土地中四番地の二が被控訴人等所有の徳島市昭和町二丁目二番地の四及び五と境を接し、右二番地の四及び五が本件土地を通行するに非ざればいわゆる産業道路(小松島街道)に通ぜざる袋地の状況であることは原審の検証の結果により明らかであるが、控訴人は右二番地の四及び五が袋地となつたのは昭和二十三年一月十六日一筆の土地を分割した結果であるから被控訴人等は他の分割者の所有地(二番地、同番地の二、同番地の三)のみに通行権があり控訴人の本件土地を通行すべきでないと主張し(控訴人は分割を言うけれどもその主張事実は土地の一部を譲渡した場合であつて民法第二百十三条第二項の適用の有無を争うのが正確であるが結局同条の適用を主張する趣旨であるから以下その当否を判断する)、被控訴人等は本件土地は民法第二百十条にいう公路であるから同法第二百十三条の適用さるべき事案でないと争うので、次にこの点につき検討する。

成立につき争のない甲第七号証の一乃至五に原審証人久保正三の証言を綜合すると、右昭和町二丁目二番地の宅地は元一筆の土地(産業道路に面している)で訴外久保正三の所有するところであつたが昭和二十三年一月十六日之を五筆に分け、同日その四を被控訴人久保進が買受け翌昭和二十四年四月十一日訴外岩城誠一(原審被告)がその二、三を、同年九月二十七日訴外武田晴(原審被告)がその一(公簿上は二番地として残りその一と表示されていない)をそれぞれ買受け被控訴人久保治は昭和二十六年十二月十日贈与により同番地の五を取得していることが明らかである。故に若し昭和二十三年一月十六日の分筆当時本件土地が公路でなかつたとすれば、被控訴人進はその取得した同番地の四が袋地になつたとしても唯残りの土地(その一、二、三)のみを進行し得るに過ぎず(残地の所有者がその後変つていること前記の通りであるが残地の買受人は右通行耐忍の土地負担を前主より承継するものと解する)、又被控訴人治は同番地の五についている前主の通行権(その一、二、三、四を通行し得る)を昭和二十六年十二月十日同番地の五と共に取得したのであつて控訴人の言う通り被控訴人両名共本件土地を通行する権利はないこととなる。

よつて進んで本件土地がいわゆる公路なりや否やにつき案ずるに凡そ道路には公道と私道の別があり公道と雖もその敷地が所有権の目的であり得る(道路法第三条)と同時に私人がその所有地を一般交通の用に供し道路(私道)とすることも出来るのであるが(土地会社が分譲住宅地に設ける道路の如し)唯、私道の場合その設置及び廃止は敷地を供用した者の意思に委ねられているのが原則であつて公道の如く特にそれぞれの行政処分あるを要しない。けれども私道として一般交通の用に供せられる間は広義の道路であつて事実上公共性を有するが故に(地方税法第三百四十八条第二項第五号が之を固定資産税の対象とせぬのも公共性の故と解せられる)刑法第百二十四条第一項にいう陸路にも私道を含むと解せられ、民法第二百十条第一項にいわゆる公路も亦私道を含むものと解せられているのである。ひるがえつて本件土地について見るに元五番地の二及び三の部分がそれぞれ公道乃至その側溝であつたが大正九年四月十五日道路の供用を廃止して爾来私有地として今日に至つているものなること冒頭認定の如くであるが成立に争のない乙第四、五号証原審における証人加本道治、福田健三、粟田隆雄、久保正三、栴檀勝一、当審における証人粟田高一、栴檀勝一の各証言、同証言と相まつてその成立を認めることが出来る乙第一、二号証を綜合すると、右の土地は公道を廃止して後も依然小松島街道より中洲方面に通ずる一般公衆の通路として利用され昭和十五年十二月四日控訴人の前身保証責任徳島県信用購買販売利用組合聯合会が之を買受けた後もその南北両端に門扉を設ける等のことなく引続き一般の通行に委せていた事実、昭和二十七年二月に至つて始めて控訴人がその南半部分に有きよく鉄線を張り或は売地の立札を立てるに至つた事実(この点は控訴人も認めて争わない)を認めることが出来る。これ等の事実からすると右の土地は公道こそ廃止されたけれども訴外蜂須賀正韶以来三十有余年の間引続き私道として供用されて来たものであり、昭和二十七年二月控訴人が供用廃止の意思を表明するに及んでここに始めて私道の設置が止むに至つたと認定するのが相当である。

果して然りとすれば今日なお右土地が公道なりと主張する被控訴人等の抗弁を採用する限りでないが、被控訴人等の土地(前記昭和町二丁目二番地の四及び五)が袋地となり終つたのは実に右昭和二十七年二月の私道廃止に基因するものであるから被控訴人等は前記産業道路に通ずる為に民法第二百十条を援用し囲繞地通行権を主張し得る筋合であつて、上記説明の経緯よりすれば囲繞地中控訴人の右土地に対して通行権を主張するのが最も妥当であると言わざるを得ない(もとより通行の場所、償金等について同法第二百十一条以下に則り処理すべきであるが之は本件において触れるべき限りでない)。従つて本件につき同法第二百十三条を援用し被控訴人等が本件土地を通行することを拒まんとする控訴人の請求は理由がなく之を排斥した原判決は結局相当であるから本件控訴を棄却し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文の通り判決する。

(裁判官 三野盛一 加藤謙二 小川豪)

其の一、其の二 図〈省略〉

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